『東海新報』さんの2002年3月6日の記事に北限のゆずが掲載されていることを、北限のゆず研究会の田中大樹さんから教えていただきました。
その記事に、昭和30年代後半、愛媛大学の教授・村上節太郎さんが柑橘類調査で陸前高田を訪れたと書かれており、早速、著書をチェックしました。
節太郎さんは1909年生まれの地理学者。
1953年~1954年に、全国の柑橘栽培の主要市町村約300を実地踏査し、その後も調査を継続、1966年に『柑橘栽培地域の研究』という1089頁もある本を出版しています。
柑橘類にとんでもない熱量を注いだ方です。
節太郎さんによれば、当時の柚子の北限は岩手県釜石市の唐丹で、ほかに越喜来(現大船渡市)に数本、大船渡に8本、そして、陸前高田市には
広田町12本、小友町15本、横田町4本、米崎町22本
の柚子が生息していたそうです(『柑橘栽培地域の研究』(以下同)647頁)。
陸前高田の柚子の木の由来についても、2名の方から聞いた話が書かれています。
1人目が、当時、家に樹齢200~300年の巨木が数本あった広田町の沙田元孝さん。
沙田家は東岸寺という屋号で、熊野神社と関係が深い修験道の旧家。
その昔、近畿地方から苗か種子を導入したそうです。
2人目が庭先に樹齢200年の巨木が2本あった米崎町の熊谷琢治さん。
彼は伊勢参宮の帰途に持ち帰ったものだと話していたといいます(648頁)。
柚子を持ち込んだのは、気仙大工?いやいや商人では!?と想像していたのですが、修験道と伊勢参りという証言が出てきました。
節太郎さんがご存命であれば、ゆず茶を飲みながら、もっと詳しくお話を伺いたいところです…。
陸前高田を訪れたら、是非、沙田さんや熊谷さんの柚子の巨木を探してみたいと思います。
★おまけ★
節太郎さんは、沙田さんの協力を得て位置、樹齢、周囲、樹高、来歴、所有者、氏名を調査し、大船渡市と陸前高田市の柚子の分布図を作っています(649頁)。
北限のゆず研究会で作成されたゆずの木マップよりも古いマップがあったとは…!
北限のゆず調査団 筒井久美子(早稲田大学講師)
【引用文献】 『東海新報』2002年3月6日 村上節太郎、1967、『柑橘栽培地域の研究』松山印刷